第二次世界大戦


1930年代後半に回復の兆しをみせていた時計産業は、第二次世界大戦の勃発によって大きな打撃を受けました。スイス軍の総動員令によって、ロンジンの工房で、1930年代末頃の生産性レベルを維持するのに必要な人員を確保できなくなってしまったのです。さらに、戦線の拡大に伴って次第に販売が困難になりましたが、時計業界はそれにも関わらず困難な時期を切り抜けたのです。それは、時計産業に影響をおよぼした第一次大戦の時とは異なり、第二次大戦中は時計(特にクロノグラフ)の需要が減ることはなかったからです。この頃、ロンジンで製造される時計は、船ではなく航空機によって輸送されるようになっていましたが、このような変化にもかかわらず、輸送が妨げられることもあり、完成した時計の納品が困難な場合も少なくありませんでした。

この頃、ロンジンにとってニューヨークの拠点が潜在的な可能性を秘めていることが次第に明らかになってきました。欧州の多くの客先が閉鎖する中、ロンジンで製造される時計の大部分はロンジン-ウィットナー・ウォッチ社が販売していたため、工場はフル生産で稼動したのです。そのため戦時中にもかかわらず、1936年以降のロンジン社の財務状態は大幅に改善されたのです。

1930年代から1940年代にかけて、特に戦時中はクロノグラフに対するニーズが大きく、多くのクロノグラフのムーブメントが開発されましたが、ロンジンはさらにその他の専門機器の設計にも取り組みました。そしてスポーツ競技の計時分野における様々な機能の研究開発を始めていましたが、それに加えてパイロット用の計器開発を推進しました。特に、シデログラフ(恒星時時計)と名づけられたデッキ・クロノメーターを製作したことが挙げられます。この時計は、グリニッジ恒星時を度、分、およびそれ以下の単位で示し、グリニッジと比較した春分点の時角(アワー・アングル)を直接表示することにより、現在位置を速やかに計算することができるものです。