20世紀初頭
20世紀の最初の10年間に、時計の心臓部であり、またロンジンの事業の中心となっていたムーブメントの開発は、新たな転換期を迎えていました。1896年にロンジンに入社したアルフレッド・フィスターの指揮のもとに、一連のキャリバーが開発されました。19世紀終わり頃のロンジンのムーブメントでは耐久性が優先されていましたが、フィスターと共同研究者が開発したモデルでは、美しいデザインも重視さました。このキャリバー・シリーズは8~24リーニュのサイズで、薄型モデルも製作されました。様々な論理に基づいて開発されるムーブメントの登場は、生産の合理化を追求する新たな方針の表れといえるでしょう。ロンジンで製作されるキャリバーは主に懐中時計用でしたが、次第に、懐中時計用と似たムーブメントを使用した腕時計が生産されるようになるのです。
この間、ロンジンは景気の変動の影響を強く受けていたにもかかわらず、多くの職人を雇用していました。1907年にはおよそ900名の社員がロンジンの工場で働いており、その数は1911年には1000名を超え、1912年頃には1200名近くに達しました。住民の数が8000人程度の村では、他にも多くの時計メーカーがあるとはいえ、ロンジンの工場はまさに傑出した存在でした。毎日、社員の長い列がスーズ川の川岸から村をめざして上ってくるのですが、この職人の列が、時計産業によって発展したサンティミエの村とロンジンの工場の間で行き来する様子が見られたのです。