第二次世界大戦中の技術革新:自動巻きムーブメント


第二次世界大戦中は、多くの障害や通信トラブルのために商業は困難でしたが、時計業界の景気という点ではかなり追い風の時期で、ロンジンにとっては技術面での大きな発展期となりました。また1939年~1945年には数多くのキャリバーが開発され(1930年代初期の開発速度にはおよびませんでしたが)、それと並行してロンジンはスポーツ競技における新たな計時方法の開発にも取り組みました。第二次大戦が終わりに近づいた頃、ロンジンの工房では、ある重要な技術革新が実現されました。技術部門が、世界中で人気が高まりつつあった自動巻きキャリバーを開発したのです。アルフレッド・フィスターが率いる技術部門は、自動巻きムーブメントの製作(最初は特殊なエボーシュの製作)と、その製作に必要な工作機械の開発をめざし、研究に全力を傾けました。試作品の開発には、大量生産には適していない新しい巻上げ技術が採用され、ロンジンの全部門が協力してこの大いなる試みに挑んだのです。1945年、ロンジンは自社工房で開発した初の自動巻きムーブメント、キャリバー「22A」を発売しました。この直径21.50 mmのラウンド型ムーブメントは、スモールセコンドあるいはセンターセコンドを装備し、多くの特許によって保護されています。1944年にはクロノグラフの分野で別の開発プロジェクトがスタート、技術部門は、当時生産されていたモデルよりも安価なクロノグラフ腕時計の実現に向け、新たなキャリバーの開発に着手しました。長期にわたる研究と試行錯誤の結果、1947年にロンジンは、クロノグラフ機構を備えた機械式手巻きムーブメント「30CH」を製作しました。このキャリバーはサンティミエの工房で開発された最後のクロノグラフ腕時計となったのです。