ロンジンがフィラデルフィア万国博覧会に出展(1876年)
1876年にフィラデルフィアで開催された万国博覧会は、スイスの時計産業にとって、機械生産方式への転換点になったと考えられています。スイスの時計業界は、当時まだエタブリサージュ方式による生産システムに頼っていましたが、機械化をめざした様々な試みがなされており、ロンジンはその中でも最も成功した例でした。この博覧会では、スイスの時計製造と、アメリカの時計メーカー、特にウォルサムおよびエルジンの工場での製造方法が間接的に比較されることとなり、ジュラ州間産業協会の代表であったジャック・ダヴィドは、予想を超える強力な競争相手が出現したことを知ります。ロンジンの技術者であったジャック・ダヴィドは、報告書を携えてアメリカから帰国し、その中で、スイス時計メーカーは、地域に発展をもたらした従来の時計製造方法にこだわっていて、世界に遅れをとっていることを厳しく指摘しました。彼は、新たな生産方式の開発をめざし、多くの面で不安をもたらすアメリカの脅威を払いのけるために役立ち、これまでとは異なる生産体制を確立して、その中でスイスの時計業界がノウハウを発揮できるよう取り組んだのです。当時、スイスの時計メーカーは工作機械の導入に対して抵抗を示しましたが、ロンジンは、フランシロンの直観とダヴィドの努力によって、時計製造の(まだ非常に部分的なものではありましたが)機械化におけるパイオニアとなったのです。