ロンジンとフォーミュラ1


スポーツ競技用の計時装置を通じて、ロンジンはモータースポーツの誕生に立ち会いました。ロンジンは既に1920年代から、自動車レースの求める厳しい条件に適応した装置を開発し、1933年のブラジル・グランプリにおいて計時を担当しました。20世紀半ばにフォーミュラ1が始まった際にも、グランプリレースの当初から計時を担当することで、ロンジンはその誕生に立ち会いました。またロンジンは、F1に加えてその他のモータースポーツにおいても公式計時を務めてきました。1970年代には、世界ラリー選手権(コルシカ、イングランド、ドイツ、スウェーデン、ミルラック、コートジボワール、ポルトガル、ブルガリア、チェコスロバキア、キプロス、サンレモ、チューリップ、アルプス、アクロポリス、ポーランドのザコパネ)での計時を担当した他、1960年~1991年まで伝説のル・マン24時間レースの計時も務めました。
1970年代の終わりには、オリベッティ社と共同で革新的な計時方法を開発し、1980年にロングビーチで開催されたフォーミュラ1・アメリカ・グランプリにおいて初めてそれが採用されました。ロンジンは、計時の自動化の論理を推し進めることで、電波によって機能する計時方法を確立したのでした。この方法では、各レースカーの先端部分に小さな発信機が付けられ、受信アンテナの役目を果たす帯状の金属のシートがゴールラインに敷かれ、それによって各レースカーのタイムが測定される仕組みになっています。ゴールラインを通過する際、記録計が信号を送り、それがデコーダーによって識別され、コンピューターと計時装置に送られます。それを元にオリベッティ社のコンピューターがレースカーの名前、国籍、車種、(1周ごとの)タイム、順位、平均タイム、周回数、さらには1周あたりのベストタイムを割り出します。また、有線テレビ網を通じてこうした情報をコンストラクターやレーシング・チームの元に送ることもできます。この計時方式は人間の手を借りないで行われるため、異議が生じるおそれもありません。こうした情報は新聞・雑誌やテレビ局にも提供され、レースについてコメントしたり分析したりする際に必要不可欠なものとなっています。

モータースポーツが重要なスポーツとして現れ出るのを自社の計時装置と共に見守ってきたロンジンは、モータースポーツへの積極的な関わりの延長として、1980年にフェラーリF1レーシング・チームと専属パートナー契約を結びました。その結果ロンジンは、フェラーリF1レーシング・チームの公式計時を担当することとなりました。そのコラボレーションとしてまず、ロンジンはフェラーリF1レーシング・チームのために検査および計時装置を開発・提供しました。ロンジンの持つ優れた技術的ノウハウがきっかけで生まれたコラボレーションですが、ロンジンは同時に、フェラーリが参加する全てのレースに自社の人員も提供しました。またロンジンは、フィオラノにあるフェラーリのプライベート・サーキット全体にも計時装置を装備しました。その代わりに、ロンジンの広告パネルが当サーキットに設置されました。次の段階として、技術的な協力の上に商業的なコラボレーションが築かれ、ロンジンはフェラーリから広告の目的でそのシンボルマークを使用する権利を与えられました。フェラーリとの技術的な専属パートナー契約を1980年に結んだのに続いて、ロンジンはフェラーリF1レーシング・チームとのコラボレーションは継続しつつ、1982年~1992年までフォーミュラ1の全てのグランプリの公式計時を担当しました。またロンジンは、1981年に、計時に関して専門技術の援助を必要としていたルノーF1レーシング・チームともパートナー契約を結びました。