アメリカへの進出
ロンジンは20世紀初頭、既にアガシ商会時代から続いているアメリカ市場への進出を強化しました。アメリカでは強力な競合企業が台頭していましたが、それでもこの市場はスイスの時計業界にとって重要な販路となっていたのです。ロンジンは、ニューヨークの代理業者のメイヤー、そしてその後継者のJ. ユージン・ロバートとの緊密な関係を築き、合衆国および北米大陸に着々と進出しました。1890年、アルバート・ウィットナーがロンジンの経営を引き継ぎ、アメリカにおけるロンジンの代理業者を務めるようになります。ロンジンは、このニューヨークの拠点によって、多くの製品を販売し、販売量を大幅に増やすことができたのです。
ロンジンの工場では、機械化による生産体制に移行するため、多くの努力を費やしました。そしてムーブメントの生産に合わせて新しい技術を採用する一方、時計に搭載するキャリバーについても様々なモデルを開発しました。この頃ロンジンは、ムーブメントの小型化の傾向にしたがって、当時はまだ懐中時計が生産の主流であったにもかかわらず、当社初の腕時計を発売。1900年には、ロンジンの製品がパリ万国博覧会でグランプリを受賞しました。ロンジンは20世紀への移行期に、様々な機会に数多くの賞を獲得して高い評価を得ましたが、これは、1867年以来続けてきた新しい生産体制の導入が、徹底した品質検査を経て認められたことを示しています。